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〈ふつうのサラリーマン〉が長期投資の投信会社・楽知ん投信を立ちあげる
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 今日1月11日は,江戸時代に実測による正確な日本地図
をつくった伊能忠敬(いのうただたか)の誕生日です。

(写真は伊能忠敬を描いたイラスト。小出雅之さん作)

           *  *  *  *

          【三百文字の偉人伝】
              伊能忠敬
          (日本地図の製作者)

   1745年1月11日生まれ 1818年4月18日没

    伊能忠敬を動かした哲学的動機

 江戸時代後期のこと。酒造業の経営者:伊能忠敬(1745
~1818)は,49才で隠居し,測量や天文学の勉強をはじめ
ました。

 そして,73歳で没するまで,史上初の実際の測量による
日本地図の作成に取り組み,ほぼ完成させました。
 
 でも,忠敬が測量の勉強をはじめたのは,

   「日本地図がつくりたかった」から

ではありません。

 もともと彼がやりたかったのは,

   日本ではまだ知られていなかった
   〈地球の大きさ〉(子午線の長さ)を測ること

でした。

 〈地図の作成〉という実用的な目的ではなく〈地球の
大きさ〉という「世界観に関わること」を知りたいという
動機で,彼の研究は始まったのです。

 このように,実用を離れた哲学的な関心から「地図の
作成」という,実用にも役立つ大きな仕事が成し遂げ
られることも,少なくありません。

           *  *  *  *

 50歳ころになって,新しい勉強をはじめ,大きな仕事を
成し遂げた伊能忠敬の人生は,やはりすごいなあ……
と感動します。

 大人になっても,年をとっても,新しい世界に挑戦する
ことはできる……という,その偉大なモデルケースです。

 一方,忠敬が天文学などの勉強や,地図作成の仕事
に没頭できたのは,彼にそれだけの経済的基盤があった
からだ……ということも見逃せないでしょう。

 忠敬は「経営が順調な企業(酒造業など)のオーナー
経営者」だったのです。(婿養子だが,自らの才覚で
家業を発展させた)

 生活のために働かなくてもいいだけの財産があった
わけです。

 地図作成の測量は幕府の事業でしたが、忠敬の私財
も多く投じられています(とくに初期の時期)。

 こういう状態を「経済的独立」といいます。

 経済的独立の状態にあったからこそ,自分の好きな
こと・世の中に役立つことをトコトン追求できたのです。
 
 このように「偉人」をみるときに,「その経済的基盤」
(どうやって生活や活動ためのお金を得ていたか)にも
注意を払うとおもしろいと思います。

                 *

 たとえば,幕末の志士の坂本龍馬は,実家が裕福
でした。実家から生活費や活動資金の支援があった
ので,全国を奔走できたのです。

 忠敬や龍馬の例だけだと,

   「それじゃ,お金持ちの家の人だから,好きなこと
   が思いきりできたということ?」

と感じる方もいるかもしれません。

 たしかに「それだけのこと」だとしたら,つまらないです。

 でも,歴史上の偉人をみると

   「貴族やお金持ちではない,ふつうの庶民の家に
   生まれ,裸一貫から一定の財産を築いて〈経済的
   独立〉に達し,早いうちに〈隠居〉すると,あとは好き
   なことに没頭した」

という人もいるのです。

 その代表例が,ベンジャミン・フランクリン(アメリカ,
1706~1790)です。アメリカ独立の際に活躍した政治家
であり,静電気実験などで知られる科学者です。

 彼は印刷工房の丁稚奉公から身を起こしました。
そして若いうちに印刷業者として独立し,成功します。

 40歳すぎには,その印刷業を人に任せて,今でいう
フランチャイズのようなしくみで運営するようになりました。

 その「フランチャイズ」からの収入で,自分は日常の仕事
をしなくても食べていけるようになったのです。
 
 それからは,自由な時間を科学の研究のほか,さまざま
な社会事業や政治活動などに費やしていきました。

 大好きな科学の研究に没頭したかったからこその「経済
的独立」だった……といっていいでしょう。 

 フランクリンは,恵まれた家庭ではないふつうの家に生ま
れた人です。そういう人が経済的独立に達し,あとは好きな
ことに没頭した……

 そのことに,私は強く魅力を感じます。

 もちろん「経済的独立に達しないと,好きなことができない」
なんてことはないでしょう。

 それぞれの経済的条件の中で「好きなこと」を追求する
ことはできると思います。とくに今の日本(衣食足りた成熟
経済の社会)では,そうです。

 また,経済的独立に達したからといって「好きなことを
思いきり追及できる」とも限りません。

 ほんとうに好きなこと,やりたいことがなければ,時間を
もてあますだけかもしれません。

 ほんとうに大事なのは「好きなこと」「やりたいこと」なの
かも……
 
 伊能忠敬やフランクリンの人生をみていると,そんなこと
をいろいろ考えてしまいます。

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 いよいよ今年も残りわずかになってきました。

 当社は,28日(金)に「仕事納め」の予定です。といって
も,まだ営業開始できていないのが残念ですが。

 当社が投資信託の会社として営業を開始するには,
所管官庁の「登録」を得ないといけません。

 その登録の申請に向けて,去年の夏から金融庁や
関東財務局といろいろなやり取りを重ねています。

 そこでまだ,正式に「登録申請書」を提出する……
というところに至っていません。

 しかし,その日もほんとに近づいてきていると考えて
います。

 今日は,その関係の仕事で終始しました。関係の
役所へ行ってきたり,書類を整えたり……

 来年,年明けのどこかで「営業開始に向けて大きく
一歩進んだ」というご報告ができると思っています。

 応援してくださっているみなさま,もう少しお待ちくだ
さい。

 タイトルの写真は,デザイナー:出口由加子さん作の
「分子模型(ブドウ糖C6126)クリスマスカード」です。

 「分子」って,こうしてみると,なんだかカワイイと感じ
られます。

                *

 さて,以上だけだとちょっとさびしいですので,
【今日の偉人=三百文字の偉人伝】を1本。

 今日12月25日は,科学者:アイザック・ニュートン
(1642~1727 イギリス)の誕生日です。ニュートン
は,クリスマスの生まれだったんですね。

         【三百文字の偉人伝】
         アイザック・ニュートン
      (力学の数学的理論の確立者)

   1642年12月25日生まれ 1727年3月31日没

    公表しなかった,錬金術の研究

 力学の数学的理論を確立した大科学者・アイザック・
ニュートン(1642~1727 イギリス)。

 彼は,力学のほかに錬金術(中世に流行した神秘主
義的な化学)の研究にも,多くの時間を費やしました。
錬金術に関するさまざまなメモや原稿を,彼は残して
います。

 そこで「ニュートンは〈近代科学者〉などではなく,神秘
の世界を信じる〈中世人〉だ」という人がいます。

 でも,彼は自分の錬金術の研究を生涯公表せず,机
の中にしまい込んでいました。それが〈科学研究〉として
公表できるシロモノではないとわかっていたからです。

 ニュートンは,「科学」と「非科学」を区別できる,正真
正銘の科学者でした。

 ニュートンのことを「中世人」と誤解する人たちなどより
もずっと「科学とは何か」を知っていたのです。

  ※参考文献:板倉聖宣『科学と科学教育の源流』仮説社

 今日12月24日は,アメリカの大富豪:ハワード・ヒューズ
(1905~1976)の誕生日です。
(写真は,ヒューズを描いたイラスト。小出雅之さん作)

           *  *  *  * 

               【三百文字の偉人伝】
           ハワード・ヒューズ
              (大富豪)

   1905年12月24日生まれ 1976年4月5日没

     究極の「不幸せな大金持ち」

 ハワード・ヒューズ(1905~1976 アメリカ)は,早死に
した父親が経営していた工作機械メーカーを若くして相続
しました。

 そして,会社の支配をめぐって争った親戚を追い出し,
会社の全権を握りました。

 それからは,映画や航空機の事業に乗り出して成功し,
さまざまな投資でも大成功を収めます。晩年の彼は,
今の価値で何兆円もの資産を持つ世界有数の大富豪
になっていました。

 でも彼は,家族も友人もなく孤独でした。

 晩年は心を病んでホテルのVIPルームに引きこもり,
麻薬づけになっていた……といわれます。

 それでも,電話1本で顧問弁護士と連絡を取りながら,
自分の資産はしっかりコントロールしていたのです。

 彼はまさに金儲けの天才でした。

 しかし,その金儲けの才能で自分自身は幸せなる
ことはできませんでした。

 「不幸せな大金持ち」の究極のサンプルといえる
でしょう。 

           *  *  *  * 

 「ヒューズのような人物を〈偉人〉といえるのか?」と
いうと,たしかにためらわれるところがあります。

 基本的には,この「三百文字の偉人伝」のシリーズ
で取り上げる「偉人」とは

   「それぞれの分野で,著しい業績をあげ,歴史に
     名を残した人」

のことです。

 すばらしい仕事をした人が中心ですが,「反面教師的
に名を残した人」や「功績も罪悪も大きい」という人も少し
は取り上げたいと思っています。

 人間の暗い部分を典型的に示している人物にも,ほん
の少しだけ目をむけてみよう,そのことで一層視野が
広がるのではないか……という主旨です。

 本文で書いたとおり,ヒューズは「不幸せな大金持ち」
の究極の典型例です。

 これに対し,11月25日にご紹介したアンドリュー・カー
ネギー(1835~1919 アメリカ)は,「幸せな大金持ち」
のモデルケースかと思います。

 どちらも,お金の流れや蓄積を生み出すものすごい
才能を発揮して,世界的な大富豪になりました。しかし,
晩年の様子は対極的に異なります。

 両者を対にして読んでいただけると,面白いかもしれ
ません。

 今日12月12日は,福沢諭吉(1834~1901,幕末~
明治の啓蒙思想家)の誕生日です。
 (写真は福沢を描いたイラスト。小出雅之さん作)


        *  *  *  * 

       【三百文字の偉人伝】
           福沢諭吉
          (啓蒙思想家)

1834年12月12日生まれ 1901年2月3日没


   福沢諭吉がアメリカで驚いたこと

 福沢諭吉(1834~1901)は,幕末から明治にかけ,
旺盛な文筆活動で,欧米の近代的なものの考え方を
日本人に知らせた人物です。
 
 福沢は,幕末の若いころにアメリカに行っています。

 彼がアメリカで一番驚いたのは,鉄道でも電信でも
ありません。それらについては,あらかじめ本で読んで
知っていました。

 それよりも驚いたのは,

   「初代大統領ワシントンの子孫は,今どうして
    いるか?」

という質問に,みんなが「さあ?」と無関心だったこと
です。

 「初代大統領といえば,日本なら初代将軍・徳川家
康みたいなものではないか」と思っていたので,意外
だったのです。

 彼は「この国(アメリカ)では,家柄なんてほとんど
意味を持たない。なんて公平な社会なんだ」と感動
しました。
 この感動は,福沢にとってひとつの出発点になりま
した。

        *  *  *  * 


 若き福沢が訪れた1800年代半ばのアメリカは,日本
よりも一足先に「近代社会」になっていました。当時の
日本は「江戸時代のおわり=幕末」で,まだ近代以前
です。日本の「近代」は,明治時代にはじまります。
 
 今の日本で暮らす私たちは,「近代社会」の中で生き
ています。

 「近代社会」って何でしょう?
 人に聞かれたら,どう説明しますか?

 江戸時代(近代以前)の日本は「生まれついた身分
や家柄で,その人の社会的・経済的な立場がほとんど
決まってしまう」社会でした。

 つまり,農民の子は農民に,武士の子は武士に…という
ことがルールとして決まっていました。武士であった場合
に「どのくらいの役職につけるか」も,家柄でほぼ決まって
いました。

 そういうのを「身分制の社会」といいます。

 「ところがアメリカではそうではない」と,福沢は感動
したのでした。

 「身分制の社会でない」というのは,別の表現をすれば,

   「職業選択の自由がある」

ということです。

 江戸時代の役人(公務員)は,(原則として)武士でした。
だから武士の子でないと「公務員」にはなれませんでした。
今は公務員の子でなくても,公務員になることが可能です。

 近代社会とはひとことでいうと,「職業選択の自由がある
社会」である。

 それだけでは言い尽くせないこともあるかもしれません。
でも,「近代社会」の重要なポイントが述べられていると
思います。

 このような説明を,私は板倉聖宣さんの『日本歴史入門』
(仮説社)
で知りました。

 さらに「イメージ」的な表現で

   「近代社会とは,誰かが誰かの所有物ではない,
     誰もが自分自身の所有者=主人である社会」

ということも,板倉さんは言っています。

 近代以前の身分制の社会では,多くの人が領主・君主
などの権力者にとって,いわば「所有物」でした。

 つまり,職業も住む場所も君主(自分の所有者)の許し
なく選ぶことはできなかった……そういう「自由」のなか
った状態が,ここでいう「誰かの所有物」ということです。
 
 これだけでは,「近代社会とは」などという大きなテーマ
に対して,あまりに説明不足かと思います。 また,別の
機会にこのあたりのことは書きたいと思います。

 「近代社会って何?」と考えることは,要するに

   「私たちが今生きている社会って,基本的にはどう
     いう性質の社会なの? どんな原理やルールが
     もっとも大事なことなの?」

と考えるいうことです。

 たまには,そういう大風呂敷なことも考えてみると
いいと思います。

 昨日の「セブン-イレブン創業」の話の続きです。

 セブン-イレブンが創業された1973年頃(1970年代
半ば)は,「時代の変わり目」でした。

 その頃,日本では1950年代からの「高度経済成長」
がひと段落して「安定成長」の時代に入ろうとしていま
した。

 経済成長の成果がはっきりあらわれて,多くの人が
食べるものや着るものには不自由しないようになって
きました。

 そんな中,「コンビニ」は生まれたのです。「クロネコ
ヤマトの宅急便」もほぼ同じ頃(1976年)に始まりました。
(写真は当時ヤマト運輸の社長で,宅急便を始めた
 小倉昌男さんを描いたイラスト。小出雅之さん作。)

 当時のコンビニや宅急便(宅配便)は,時代の変わり
目にあらわれた「新しい産業」でした。

 「新しいもの」は,最初はなかなか理解されません。
だから,鈴木さんたちも,創業の苦労があったのです。

 でも,コンビニや宅急便は,〈衣食足りた時代〉の
新しいサービスとして,その後,大きく発展していった
わけです。

 現代の

   「(個人を対象とした)資産運用」の世界

も,30数年前のコンビニや宅急便のような「新しい産業」
なのではないでしょうか。

 まだまだ「そのようなサービス(資産運用)は,自分
には関係ない」という方が大勢いらっしゃいます。

 30数年前に

  「朝7時から夜11時まで営業している小売店が
  あったら,あなたは利用しますか?」

と聞いたら,どんな答えがかえってくるでしょう?

 「そんなお店は,自分には関係ない」と答える人は
少なくなかったでしょう。

 今は「投資信託の事業を行うために,会社をたち
あげました」といっても,すんなりとは理解してもらえ
ません。

 しかし,当社が取り組もうとしている

   「普通の個人のための長期投資」

は,将来きっと

   生活の中で「あたり前」の普遍的なサービス

になっていく……

 そう思っています。
 
 私たちは,ささやかであっても,そのような流れを
おし進める存在になっていくつもりです。

プロフィール
名前:    
秋田 総一郎
(あきた そういちろう)
自己紹介:
 1965年,兵庫県に生まれ東京の多摩地区で育つ。鉄道会社勤務を経て,2006年に楽知ん投信(株)を設立し代表取締役に。
 会社勤務のかたわら,「たのしい科学」の世界を子供や大人に広めるNPO法人「楽知ん研究所」で活動してきた。現在,多摩地区で妻と2人暮らし。

連絡先
 akitaあっとluctinfund.co.jp

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